野井浦
のいうら
[現在地名]島根町野井
東は日本海に面し、南から北西にかけて森谷山(野波浦では野井子谷山)などを境に野波浦に囲まれる。北部を雨谷、南部を大深と称する。本谷溝が東流、用水に利用されている。海上五町ほどの所に築島がある。天正二年(一五七四)三月一九日の湯原春綱帆役覚書(閥閲録)に「のい瀬崎 二ケ所」とみえる。明暦四年(一六五八)の野井浦御検地帳によれば、田高八石余・反別七反余、畑高三石余・反別九反余、屋敷数二(庄屋屋敷一・御役屋敷一)。正保国絵図には野井村とみえる。元禄十年出雲国郷帳では高二四石余、寛文四年(一六六四)の本田高一四石余・新田高二石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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