朝日日本歴史人物事典 「野村左兵衛」の解説
野村左兵衛
生年:文化12(1815)
幕末の会津藩(福島県)藩士。名は直臣。文久2(1862)年,藩主松平容保が京都守護職に就任し,翌年1月,その仕事を集団で補佐していくため京都に公用方(局)が設置されると,これを名実ともに会津藩最高の諮問・政策立案機関に育てることに貢献した。同3年の旧暦秋,軍事奉行のまま公用人に任命され,翌元治1(1864)年には軍事奉行の職を解かれて公用人,御聞番御内用兼務となる。以後,公用方の中心人物として公武合体に努めた。「温和ニシテ怜悧,能ク人ト応接シ,能ク尽言ヲ容ル。内外親疎皆其歓心ヲ得」との評がある。<参考文献>家近良樹『会津藩公用方(局)の実態について』
(家近良樹)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報