野田目村
のだのめむら
[現在地名]藤島町野田目
下中野目村の南に位置し、西は西荒屋村。三集落よりなる。このうち下村が古く、佐藤吉右衛門・菅原清七両家の先祖が中世に開発したという。菅原家には南北朝期とみられる古刀が残る。また上野田目は荒興屋ともよばれ、慶長(一五九六―一六一五)頃に谷定村(現鶴岡市)から移住帰農した渡部四右衛門家が開発したという(藤島町史)。弍郡詳記でも小名として荒興屋をあげている。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に野田之目村とみえ高六四二石余、以後庄内藩領。寛永元年庄内高辻帳では野田野目村とみえ高四三四石余。慶応三年(一八六七)の検地帳(野田目区有文書)では田三七町五反余・畑八反余・屋敷一町余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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