野田追村(読み)のだおいむら

日本歴史地名大系 「野田追村」の解説

野田追村
のだおいむら

野田追場所に含まれノタオイとよばれていたが、寛政一二年(一八〇〇)に「ノタヲイ迄」が「村並」とされ(休明光記附録)、天保郷帳に落部の持場として野田追とみえる。明治初年渡島国茅部かやべ落部おとしべ村の一部となった。成立時は南は落部村、東は海に面していた。

「西蝦夷地日記」に「当時は山越内迄蝦夷地取扱、野田追より村と唱へ在方扱なり」(文化四年一〇月二三日条)と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む