野石谷村
のしだにむら
[現在地名]平田市野石谷町
海苔石谷村とも記し、久多見村の北東に位置する。天正一九年(一五九一)一二月一六日の毛利氏奉行人連署打渡状(鰐淵寺文書)に「此替 拾二石九斗七升 野石谷村ニ有之」との書入れがあり、当地は万田村の替りに、鰐淵寺領として打渡されている。村は島根半島脊梁部の山地から、南の平地に広がる東西八町・南北二〇町ほどで、東は岡田村、南東は東郷村など、北は山地脊梁部を境に日本海岸の唯浦・三津浦。村内を南北に平田町から唯浦への道(幅一間)が縦貫し、周辺の村々とは四本の間道で連絡していた(明治六年「地理取調書」県立図書館蔵)。農業のほか柴・薪・木実採取の山間稼を主業としていた。能呂志神社(六所明神)から五町ばかり下に海苔石(長さ五尺・横三尺)という石があり、冬期ノリが生ずる時節には、必ずこの石にも生じたので、海苔石谷といったと伝える(「雲陽誌」・地理取調書など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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