野里庄(読み)のざとのしよう

日本歴史地名大系 「野里庄」の解説

野里庄
のざとのしよう

近世の野里村付近にあった庄園。嘉吉二年(一四四二)摂津守護細川持賢(道賢)は、同元年の嘉吉の乱で殺された将軍足利義教の菩提を弔うため崇禅そうぜん(現東淀川区)を建立し、以後持賢やその被官らが相次いで所領田畑を寄進するが、そのなかに野里庄関係のものも含まれている。まず同年一〇月三日に当庄内の高徳こうとく庵跡と浄心跡が寄進された。土豪の寺庵跡とみられる高徳庵跡は、摂津国小屋野こやの(昆陽野庄、現兵庫県伊丹市)誠願寺分の替地として寄付されたもので(同日付「小河式部丞賢家書状案」藻井家文書)、浄心跡は弘源寺殿(細川持之)の追善のために寄進したものであった(同日付「安富民部丞遵行状案」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報