20世紀日本人名事典 「金光摂胤」の解説
金光 摂胤
コンコウ セツタネ
明治〜昭和期の宗教家 金光教教主。
- 生年
- 明治13(1880)年8月5日
- 没年
- 昭和38(1963)年4月13日
- 出生地
- 岡山県金光町
- 学歴〔年〕
- 高小中退
- 経歴
- 金光教2代目取次者金光宅吉の長男。明治26年父の死で教導職試補となった。31年金光大陣(山神)の長女式子と結婚、40年金光教副管長となった。昭和9年同教の金光家邦管長が摂胤排斥を企てたことから内粉となり、摂胤を大教会所(本部)広前神前奉仕者に擁立して管長に辞任を迫る信仰自覚運動に発展した。この運動は全教的な支持を受け、10年摂胤は大教会所神前奉仕者に就任。以来4半世紀、食事と就寝以外、終日神前に座って参拝者の願いごとを神に取り次ぐ役目を果たした。16年管長、本部教会主管者となり、21年4月教主となった。24年には御取次成就信心生活運動を展開、信者から生き神と仰がれた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報