日本歴史地名大系 「金城町」の解説 金城町かなぎちよう 島根県:那賀郡金城町面積:一六四・三〇平方キロ那賀郡の中央東寄りに位置し、東は旭(あさひ)町・邑智(おおち)郡桜江(さくらえ)町、北は江津市・浜田市、西は弥栄(やさか)村、南は広島県山県(やまがた)郡芸北(げいほく)町、美濃(みの)郡匹見(ひきみ)町。南北に長く、南高北低の地形をなす。北部を家古屋(かこや)川・久佐(くざ)川・金田(かなだ)川など、南部を周布(すふ)川・小国(おぐに)川などが流れ、中央部から北部にかけては丘陵盆地が形成されている。町中央部に金木(かなぎ)山(七一九・八メートル)があり、これを境に北部の雲城(くもぎ)地区・今福(いまふく)地区は丘陵地帯で気候は温暖であり、南部の波佐(はざ)地区は西中国山地国定公園の大佐(おおさ)山(一〇六九メートル)・大潰(おおづえ)山(九九七・五メートル)・雲月(うつつき)山(九一四・八メートル)や鷹巣(たかのす)山(九四三・三メートル)などの標高一〇〇〇メートル前後の中国山地脊梁部が控え、やや寒冷である。町中央部を国道一八六号が南北に縦断している。北部を東西に主要地方道浜田―八重可部(やえかべ)線が横断し、その北側に並行して中国横断自動車道(浜田自動車道)が東西に走り、今福に金城パーキングがある。町域の縄文時代の遺跡として今福の岩塚(いわづか)II遺跡、下長屋(しもながや)の水(みず)ヶ佐古門(さこかど)遺跡、上来原の郷田門(かみくるばらのごうだかど)遺跡、小国の柿(かき)ノ木(き)遺跡、波佐の槙(まき)ヶ曾根(そね)遺跡・七渡瀬(ななわたせ)I―II遺跡、長田の長田郷(ながたのながたごう)遺跡・城(じよう)ノ前(まえ)遺跡・ナゴダ遺跡などがある。七渡瀬II遺跡では弥生時代・古墳時代前期・奈良時代の住居跡なども発見されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by