金子 平吉(読み)カネコ ヘイキチ

20世紀日本人名事典 「金子 平吉」の解説

金子 平吉
カネコ ヘイキチ

明治・大正期の新聞記者 泰東日報社長。



生年
元治1年8月11日(1864年)

没年
大正14(1925)年8月28日

出生地
越前国足羽郡酒井村(福井県)

旧姓(旧名)
牧野

学歴〔年〕
明道館

経歴
藩校・明道館を卒業して上京島田重礼の塾および中村正直の同人社で学び、経学・英語・ドイツ語を修め、また中国語を学ぶ。「北門新報」の記者となり、明治27年日清戦争には陸軍通訳となって出征、のち台湾総督府吏員となり、37年日露戦争にも中国語通訳として従軍。39年遼東新報社に入り、以来満州に長年留まり、41年大連で「泰東日報」を創刊、社長を務めた。また大正5年大連に振東学社を興し青年子弟の教育に尽力、大陸青年会を組織して会長となる。のち東京にも振東学社の分社を設け、青年学徒の養成に奔走した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報