明道館(読み)めいどうかん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「明道館」の意味・わかりやすい解説

明道館
めいどうかん

越中福井藩藩学。1819年(文政2)以来の学問所正義館を16代藩主松平慶永(よしなが)が刷新、1855年(安政2)明道館とした。1869年(明治2)明新館と改称肥後横井小楠(しょうなん)の意見『学校問答』に拠(よ)り「学政一致」、有用の人材の成育を目ざして、経書(けいしょ)、兵書武技、史、歴史諸子、典令、詠歌詩文、習書算術暦学、医学、蘭(らん)学の9科を設けた。1856年(安政3)藩士橋本左内(さない)が幹事に就任し、教育方針『明道館之記』を示す。翌年、城下四か所に外塾を、また講武館、洋書習学所などを設けた。藩士の子弟は8歳で外塾に読書・写字を学び、普通17歳をもって明道館に進み、文武不岐の修学をする規定であった。

[木槻哲夫]

『文部省編・刊『日本教育史資料 二』(1889)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「明道館」の意味・わかりやすい解説

明道館
めいどうかん

福井藩の藩校。安政2 (1855) 年藩主松平慶永によって創設された。横井小楠らの実学尊重の趣旨から朱子学を主体とし,また蘭学科をおいた。同4年橋本左内建議を入れて洋書習学所を設置し,教授坪井信良を迎えた。市中に明道館外塾があった。明治2 (69) 年明新館と改められ,同4年には外人教師を招き西洋文明の輸入に努めた。

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