朝日日本歴史人物事典 「金忠善」の解説
金忠善
生年:元亀2(1571)
文禄の役(壬辰倭乱,1592)の日本人武将。日本語読みは「きん・ちゅうぜん」。日本名,沙也可。号は慕夏堂。加藤清正の先鋒将として朝鮮へ渡るが,東土礼儀の盛なる有様をみて,部下を伴い投降。鉄砲や火薬の製法を伝え,また金応瑞将軍のもとで数々の戦功を立てる。朝鮮国王宣祖から官職ならびに金海金氏の姓を賜り,子孫が慶尚北道達城郡の友鹿洞に住むことを許され,現在に至る。その劇的な生涯から架空の人物とされたこともあるが,朝鮮側史料により存在が確認された。人となりについては,『承政院日記』に「ただ胆勇なること超人ならず,性また恭謹」とある。<参考文献>『慕夏堂文集』,中村栄孝『日鮮関係史の研究』中
(田代和生)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報