金栗村(読み)かなくりむら

日本歴史地名大系 「金栗村」の解説

金栗村
かなくりむら

[現在地名]瀬高町小川おがわ

上小川村の西にあり、北西瀬高下庄せたかしものしよう村。建暦二年(一二一二)一一月日の遷宮諸役次第注進状写(「鷹尾社祭礼関係文書写」鷹尾家文書/筑後鷹尾文書)によると、鷹尾たかお(現大和町)の九月九日の祭礼において「車屋有富沙汰、金栗在家雑免役」と差配されている。鎌倉時代後期、鷹尾社では大宮司紀氏と宮別当多米氏の相論が続き、嘉暦三年(一三二八)七月日の多米末高重言上状案(同文書/鎌倉遺文三九)で多米氏側は「大宮司先祖之時、自金栗村酢大夫手、取流彼職於質券、相伝大宮司者也」と、紀氏が金栗村酢大夫から大宮司職を買取ったと非難している。鷹尾社祭礼記録写(「鷹尾社祭礼関係文書写」筑後鷹尾文書)に建保三年(一二一五)冬小使「金栗太郎預」、承久元年(一二一九)九月九日祭使「金栗大宮司」、貞応元年(一二二二)春大使「金栗四郎別当」とあるのは、金栗に所在した鷹尾社神官であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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