日本歴史地名大系 「金森宗貞邸跡」の解説
金森宗貞邸跡
かなもりそうていやしきあと
「飛騨国中案内」では、「町尻に金森宗貞と云し銀山師、越前国金森と云所より此地へ来、少々居屋敷を拵へ居住す、其構四方に高さ七尺余の高築筑き、其上に高塀を懸け、四角に櫓を上げ、南の門、東の門、北の門とて三ケ所に門を立、其内に居宅を拵へ、但北に五十間余、東西六十間余之内なり」とし、慶長一二年(一六〇七)金森長近が京都で没したので、その恩恵により栄華と権勢を誇った宗貞は自ら屋敷に火をかけ、越中に移りさらに能登へ赴いたとある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報