日本歴史地名大系 「茂住村」の解説 茂住村もずみむら 岐阜県:吉城郡神岡町茂住村[現在地名]神岡町東茂住(ひがしもずみ)・西茂住(にしもずみ)高原(たかはら)川に沿い、西岸に本村の上茂住・下茂住(現西茂住)、東岸に銀山茂住(ぎんざんもずみ)(現東茂住)がある。東と西は山に囲まれ、南は土(ど)村・西漆山(にしうるしやま)村。慶長一〇年(一六〇五)の飛騨国郷帳では山田(やまだ)郷に属し、もすみ村とあり、高合一三石は畑ばかりで、物成合五石余。同一八年の郷帳では高原郷に属する東山中(ひがしさんちゆう)村高一〇四石余に含まれる。元禄検地反歩帳では高四一石余、畑一一町三反余、うち銀山分二町九反余とある。「飛騨国中案内」では高三九石余、反別一八町八反余(畑のみ)、免二割三分六厘余。なお本高のうち銀山分として高九石余、畑屋敷合計二町四反余、うち一斗七升余・中畑五畝余、八斗九升・下畑四反四畝余、三斗七升余・下々畑三反七畝余、七石七斗余・屋敷一町五反五畝余、四斗四升余・銀山蔵敷八畝余、銀山口留番所敷二斗一升余、銀山番所敷二石七斗余、銀山荒地引五反五畝余、残高四石八升余・八反一畝余、家数七〇(うち寺四・百姓一一・家持四四・相地二・門屋二・地借一・借家五)、寺と百姓のほかは村方・銀山にあって、銀山師・家持・日雇である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報