…近世大名。美濃土岐氏庶流定頼の子定近が,近江野洲郡金森に住し金森氏を称した。その子長近は織田信長・豊臣秀吉に仕え,1585年(天正13)飛驒を平定し翌年一国3万8700石をあてがわれる。関ヶ原の戦後,可重(よししげ)が安堵をうけ代々飛驒高山藩主。頼(よりとき)に至り1692年(元禄5)出羽上山に移され,5年後さらに移封されて美濃郡上(ぐじよう)郡八幡藩主。その孫頼錦(よりかね)は郡上一揆(金森騒動)の失政を問われ1758年(宝暦8)改易。…
…郡上藩領でおきた一揆としては,延宝期の家中騒動のからんだ一揆と,宝暦期の一揆とがあるが,ふつうには後者をさす。 藩主金森頼錦(よりかね)治政下の1754年(宝暦4),年貢増徴のために採用しようとしていた検見取(けみどり)などに反対する一揆が発生した。郡上郡内の農民は検見廃止をはじめ諸課役廃止16条を藩に要求し,藩は一度はそれを受理した。…
…美濃国郡上郡八幡に藩庁を置いた譜代中小藩。同郡と隣国越前の大野郡に所領をもつ。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦で徳川方にくみした遠藤慶隆が故領2万7000石を安堵されたのがはじまり。3代常友の代に八幡町の整備拡充が進み,また幕府から,以前の城主格から城主として遇せられるようになった。4代常春治政下の77年(延宝5)に,年貢諸役軽減などをもとめる農民一揆が起こり,それに家中の分裂・抗争がからんで藩体制は動揺し,5代常久の代になっても藩政の混乱は続いた。…
※「金森頼錦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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