釜ヶ城跡
かまがじようあと
[現在地名]甲田町下小原
下小原の西、長楽寺のある山にあり、古くは「かまひたい城」と称したと伝える。延元元年(一三三六)吉田庄(現吉田町)に下向した毛利氏一族の城で、毛利氏も南北朝時代には一族内で争いが生ずるが、一時宮方についた毛利元春は、武田氏信に敗れて再び武家方に属した。その後今川了俊に従って九州に出征中、留守を守っていた光房らは、永和二年(一三七六)二月五日、元春に敵対していた元春の末弟直元のこもる釜額城を落した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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