下小原村(読み)しもおばるむら

日本歴史地名大系 「下小原村」の解説

下小原村
しもおばるむら

[現在地名]串良町下小原

串良郷岡崎おかさき村の西にあり、同村との間を甫木ほのき川が南流し、笠野原かさのはら台地南端を東流する肝属川と合流する。肝属川対岸は高山こうやま前田まえだ(現高山町)志布志しぶしからの道が東西に通る。村名は「しもこばい」ともよばれる。建仁三年(一二〇三)一一月一〇日の島津庄政所下文(肝付文書)にみえる小原別符の遺称地。古くは小原村のうちとされ(三州御治世要覧)、文禄―・慶長(一五九二―一六一五)期には北郷久村領であった(北郷氏系図)。寛文四年(一六六四)の郡村高辻帳では小原村は高二千三九〇石余。「三州御治世要覧」には下小原村とあり延享(一七四四―四八)頃の高二千四一二石余。慶応三年(一八六七)検地・門割が実施された(「鹿児島県協力高事件整理書」黎明館蔵影写本)。旧高旧領取調帳では高一千五四七石余。伊能忠敬の「九州東海辺沿海村順」には、当村へは南へ七町入り、家数一一七軒、うち一六軒は甫ノ木とある。


下小原村
しもおばらむら

[現在地名]甲田町下小原

上小原村の北に位置し、西は吉田よしだ(現吉田町)、東北は高田原たかたばら村に接する。「芸藩通志」に「広三十町、袤三十五町、東南は高山にて西北は低山なり、坤艮の二位のみ開けり、甚旱傷に苦しむ、川一流東北の大川に入る。飛郷一所高田原村にあり、又大川を隔て、当村の地多し」とある。大川とは可愛えの川のことで、「高田郡村々覚書」に「村内流三拾丁はば百五間、川上は吉田、川下は下甲立村」とあり、北流する戸島としま川は「村之内流拾壱丁、はば五間、川上小原村より流申候、村之内郷流申候」とある。また渡しのうち「市ケ原船渡し川陌百五間、船造り替之節は材木は従御公儀被遣候、尤入用銀は勧進仕候調申候」「篠原船渡し川陌百五間、船作り替申時は銀壱枚宛御公儀様被為遣候」とある。


下小原村
しもこばらむら

[現在地名]鴨川市下小原

川代かわしろ村の北西、加茂かも川の中流域に位置する。もとは上小原村とともに小原村一村で、慶長年間(一五九六―一六一五)に分村したという。慶長二年の安房国検地高目録に小原村とみえ、高八九〇石余(うち田方五四九石余)、里見氏給人領。同年の小町村并小原村境裁決状写(南小町区有文書)によると、現地を検分して両村の不明確だった境界を定めており、そのとき小原村へ付けたのはたき村・大森おおもり村・山王さんのう村・んげ(林下)村・あいか大夫(相川か)村の五ヵ所とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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