日本歴史地名大系 「釜利谷」の解説
釜利谷
かまりや
嘉元三年(一三〇五)四月二八日の瀬戸橋造営棟別銭注文案(県史二)には「一貫三百十文 蒲里谷分」とみえる。正慶元年(一三三二)二月一六日の称名寺長老剣阿宛金沢貞将書状(同書)には「武蔵国六浦庄富田郷今者称蒲里谷」とあり、下総国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
嘉元三年(一三〇五)四月二八日の瀬戸橋造営棟別銭注文案(県史二)には「一貫三百十文 蒲里谷分」とみえる。正慶元年(一三三二)二月一六日の称名寺長老剣阿宛金沢貞将書状(同書)には「武蔵国六浦庄富田郷今者称蒲里谷」とあり、下総国
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