日本歴史地名大系 「銅山街道」の解説 銅山街道あかがねかいどう 群馬県:総論銅山街道下野足尾(あしお)銅山(現栃木県上都賀郡足尾町)の産銅を江戸へ運ぶため、幕府によって設定された道。慶安元年(一六四八)代官諸星庄兵衛が銅山奉行を兼役、同二年当街道を整備して御用銅問屋を宿ごとに置いたと伝えられる(明治四年「書付」花輪高草木文書)。道筋は足尾銅山から渡良瀬川右岸沿いに沢入(そうり)・花輪(はなわ)(現勢多郡東村)を経、大間々(おおまま)(現山田郡大間々町)に至る。同所からはほぼ直線的に南下して利根川の平塚(ひらづか)河岸(現佐波郡境町)に達し、ここで船に積まれた。寛文一二年(一六七二)銅山奉行岡上景能が各地銅問屋宛に出した密売買禁止申渡(花輪高草木文書)には、笠懸(かさかけ)新田(のちの本町村。現新田郡藪塚本町)の銅問屋として西村庄左衛門の名がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by