岡上景能 おかのぼり-かげよし
?-1688* 江戸時代前期の武士。
養父景親の跡をついで幕府代官となり,寛文8年足尾の銅山奉行をかねる。越後(えちご)(新潟県)魚沼郡,上野(こうずけ)(群馬県)新田郡笠懸野(かさがけの)などの用水路整備や開墾に尽力した。年貢滞納などの理由により切腹を命じられ,貞享(じょうきょう)4年12月3日死去。武蔵(むさし)児玉郡(埼玉県)出身。通称は次郎兵衛。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の岡上景能の言及
【上野国】より
…利根川の水を引くこの用水は,さらに代官伊奈忠次によって延長され,新田2万7000石を得た。東毛では代官岡上景能(おかのぼりかげよし)が渡良瀬川の水を引いて,笠懸野に二十数ヵ村の新田を開いた。元禄郷帳の上野国総石高は59万1000石余,村数1213を数える。…
※「岡上景能」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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