社会科教育(読み)しゃかいかきょういく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「社会科教育」の意味・わかりやすい解説

社会科教育
しゃかいかきょういく

社会科とは、青少年に、社会生活について理解させ、社会によく適応し、社会のよりよい発展に寄与できる能力や態度を養う教科である。したがって、社会科教育(社会認識教育ともいう)とは、正しい社会認識を子どもたちに形成させることを通して、市民・国民として望まれる資質・能力を育成する教育であるといえる。この市民・国民として望まれる資質・能力は、公民としての資質・能力とよばれ、平和で民主的な国家および社会の形成者として必要な資質・能力を意味する。

[永井滋郎・樋口雅夫 2023年12月14日]

発展

このような教育は、第二次世界大戦前の日本の学校教育では、国家主義的、軍国主義的傾向を強くもちつつも、修身、地理、歴史、公民などの諸教科で行われていた。大戦の終結により、教育民主化のため、文部省(現、文部科学省)内に公民教育刷新委員会が設けられて、新しい公民教育の方向が模索された。また、連合国最高司令官総司令部(GHQ)の示唆もあって、1946年(昭和21)文部省は、社会科委員会を設置した。このとき、社会科の性格や内容については、アメリカ合衆国の社会科(ソーシャル・スタディーズsocial studies)、なかでも進歩的なバージニア・プランやカリフォルニア・プランなどが参考にされた。

 1947年新学制(六・三・三制)の施行とともに社会科が発足した。社会科委員会は、学習指導要領社会科編を作成して、新しい社会科の性格、内容、方法を試案として公表したのである。これによれば、小学校の社会科は、地理、歴史などの教科目の区別を廃して統合的な学習を行い、中学校の全学年および高等学校第1学年には「一般社会」という総合的な課程を置き、高等学校第2、第3学年で「人文地理」「東洋史」「西洋史」「時事問題」の4選択科目を設けた。そして社会科は、基本的に児童・生徒の生活経験や自主性、自発性を尊重し、地域社会中心の問題解決学習を重視する教科と考えられ、具体的な内容編成や指導法は現場の学校にゆだねられたのであった。しかし、この社会科は、従来の修身、歴史、地理などとあまりにも性格を異にしていたので、教育現場に少なからぬ混乱を引き起こした。そのため、政界や学界、あるいは民間の教育諸団体などから、社会科は日本社会の現実を無視しているとか、学力を低下させたとか、いろいろの批判が投げかけられた。そこで、文部省は、社会科の基本的なねらいは正しいとしながらも、学習指導要領の不備を認めて、その改訂に着手し、1951年に改訂版を出した。

 以後、国内、国外情勢の変化に対応して、1956年中・高等学校、1958年小・中学校、1960年高等学校、1968年小学校、1969年中学校、1970年高等学校、1977年小・中学校、1978年高等学校と、相次いで学習指導要領の改訂が行われた。そして昭和30年代以降、いわゆる「社会科の日本化」が進み、生活主義、経験主義、総合主義というアメリカ的社会科から、系統主義、主知主義、教科(科目)主義へと性格を変えていった。「道徳」が社会科から分離独立し、歴史、地理学習がいっそう強化された。「社会」という教科の名称は維持されたが、中学校、高等学校にあっては分科的傾向が濃厚となった。しかし、このような動向のなかにあって、1978年度改訂の高等学校学習指導要領が、高等学校第1学年に、総合的な性格をもった基礎的な必修科目として「現代社会」を新設したのは、特筆すべきことであった。

[永井滋郎・樋口雅夫 2023年12月14日]

内容

1989年の改訂

次いで、1987年(昭和62)12月の教育課程審議会答申の教育課程改善の方針に従い、1989年3月、小・中・高等学校の学習指導要領が文部省から告示された。これによって、小学校低学年に「生活科」が新設され、それまでの低学年の社会科と理科はなくなった。また、従来の高等学校社会科も再編成されて、新しく「地理歴史科」と「公民科」とが設けられ、必修科目「現代社会」は公民科の科目の一つとなった。したがって、社会科教育としての教科「社会」は、小学校の中・高学年「社会」と中学校「社会」(地理、歴史、公民の3分野制)のみとなり、高等学校社会(科)の教科名はなくなった。

 日本の戦後社会科教育の大改編とみられる1989年の学習指導要領の改訂は、社会科教育そのものの解体を意味するのではなく、児童・生徒の発達上の特徴をよく踏まえ、各教科の専門性や系統性をいっそう重視し、社会の変化に自ら対応できる心豊かな人間の育成を目ざして、社会科教育が再編成されたものであるといえる。

[永井滋郎・樋口雅夫 2023年12月14日]

1998年の改訂

1989年の改訂から約10年を経て、学習指導要領が1998年に小・中学校で、1999年に高等学校で改訂・告示された。この学習指導要領は、学校週5日制完全実施による授業時間の縮減、教育内容の厳選、教育課程の弾力的編成、教科の枠を越えた「総合的な学習」(たとえば国際理解、環境、福祉など)の導入や「情報」教育の充実など、各学校の特色を生かした授業・学習を推進し、児童・生徒の自ら学ぶ力と「ゆとり」をもってたくましく「生きる力」を育成することをねらった、21世紀にふさわしい教育課程の改善を目ざしたものとされる。

 しかし、小・中・高等学校の社会認識にかかわる諸教科(生活科・社会科・地理歴史科・公民科)は、学習内容の整理・精選、選択制の拡大などでかなりの修正が加えられたものの、その基本的な性格や構造においては、1989年改訂の学習指導要領と比べて大きな変化はみられなかった。

[永井滋郎・樋口雅夫 2023年12月14日]

2008年の改訂

1998年の改訂から約10年を経て、学習指導要領が2008年(平成20)3月に小・中学校で、2009年3月に高等学校で改訂・告示された。この学習指導要領は、2006年の教育基本法、学校教育法の改正に伴い、また2008年1月の中央教育審議会答申を踏まえて改訂されたものであった。社会科教育においては、(1)基礎的・基本的な知識、概念や技能の習得、(2)言語活動の充実、(3)社会参画、伝統や文化、宗教に関する学習の充実が図られ、社会認識の基盤となる知識や概念の習得だけでなく、習得した知識や概念を活用して思考・判断・表現する力の育成が目ざされるようになったのである。

[樋口雅夫 2023年12月14日]

2017年の改訂

2008年の改訂から約9年を経て、学習指導要領が2017年3月に小・中学校で、2018年3月に高等学校で改訂・告示された(小・中学校は2021年に全面実施、高等学校は2022年から年次進行で実施)。この学習指導要領は、2016年の中央教育審議会答申を踏まえて改訂されたものであるが、社会科教育においては、2016年からの選挙権年齢の18歳への引下げの施行、2022年(令和4)からの成年年齢の18歳への引下げの施行が、大きな影響を及ぼしている。そのため、高等学校公民科に必修科目「公共」が新設され、小・中学校社会科での学習の成果の上にたって、「18歳」に求められる公民としての資質・能力の系統的育成がいっそう重視されることとなった。

 小・中学校社会科では、(1)基礎的・基本的な「知識および技能」の確実な習得、(2)「社会的な見方・考え方」を働かせた「思考力、判断力、表現力等」の育成、(3)主権者として、持続可能な社会づくりに向かう社会参画意識の涵養(かんよう)や、よりよい社会の実現を視野に課題を主体的に解決しようとする態度の育成が目ざされている。

[樋口雅夫 2023年12月14日]

課題

社会科ないし社会認識教育の発展の歴史は、社会が当面する諸問題および解決すべき諸課題をよく物語っている。社会科教育は、科学的で総合的な社会認識と、市民・国民としてよりよい社会を形成するために必要となる公民としての資質・能力を育成するという、人間形成・社会形成のための教科教育であるだけに、日進月歩する人文・社会諸科学の成果をよく摂取するとともに、つねに社会の変化・発展に即応していかねばならない。このため、社会科教育の目標、内容、方法については、理論的にも実践的にも絶えず研究が重ねられていく必要がある。さらに、それらの理論や実践を整理し、体系化し、生活科・社会科・地理歴史科・公民科を含めた社会科的な教育を社会科教育学もしくは社会認識教育学として確立していくことが、今日いっそう強く要請されるのである。

[永井滋郎・樋口雅夫 2023年12月14日]

『内海巌編著『社会認識教育の理論と実践――社会科教育学原理』(1971・葵書房)』『森分孝治著『社会科授業構成の理論と方法』(1978・明治図書出版)』『片上宗二著『日本社会科成立史研究』(1993・風間書房)』『岩田一彦著『社会科授業研究の理論』(1994・明治図書出版)』『社会認識教育学会編『新社会科教育学ハンドブック』(2012・明治図書出版)』『子どものシティズンシップ教育研究会著『社会形成科社会科論――批判主義社会科の継承と革新』(2019・風間書房)』『棚橋健治・木村博一編著『社会科重要用語事典』(2022・明治図書出版)』『唐木清志編著『社会科の「問題解決的な学習」とは何か』(2023・東洋館出版社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「社会科教育」の意味・わかりやすい解説

社会科教育 (しゃかいかきょういく)

〈社会科〉は第2次大戦後の教育改革によって新たに発足した教科の一つ。授業開始は1947年9月。戦前の修身,公民,地理,歴史のたんなる融合ではなく,つぎのような目的をもった教科として成立した。(1)自主的,建設的で,しかも批判的な能力の育成,(2)社会生活を総合的,連関的に理解し,社会の諸問題を事実に即した知識をもって合理的に解決する能力の育成,(3)知識と生活を密着させ,それらの学習を通じての社会にとって好ましい態度や習慣の育成。そのために子どもの興味・必要に即して学習を有効に発展させるという方法がとられた。このように公式の出発は戦後だが,大正期の新教育運動のなかで私立学校や師範学校付属小学校などで,直観教授の考えにもとづく,郷土科や現代科の実践があり,また公民,地理,歴史を合体し〈社会科〉の名称で教科を設置したところもあった(1929年,東京女子高等師範学校付属小)。しかしそれらは戦時教育体制下,一般公立学校へは普及しなかった。

 戦後いち早く文部省に〈公民教育刷新委員会〉が設置され,1945年12月,委員会は新時代に即応する政治教育,とくに代議政治,国際平和,個性の完成,世界情勢の正しい認識などを扱う公民教育を構想し,これを新教育の根幹にすえるべきだと提唱した。この答申を基礎に翌46年文部省が作成した公民教育教師用書にはじめて〈社会科〉の語が登場した。当時,アメリカの〈社会研究social studies〉からも学び,翌47年1月,東京港区の桜田国民学校(小学校)で実験授業が開始され,学習指導要領(試案)も作成されて,正式に出発した。官民あげて平和的文化国家を建設しようとの意気ごみがみられたこの時期に,社会科は新時代をつくるうえで大きな役割を果たすものとして期待された。最初の小学校用社会科教科書は47年から翌年にかけて,まず文部省の手で《日本のむかしと今》《土地と人間》など8冊が刊行され,それらの教科書には,社会科は教科書を順に教えればよいのではなく,この書をも参考書の一種として扱い,多くの資料をそろえて指導することが重要だ,との指示が書かれていた。これにより,教師も生徒とともに地域に出たり,多くの資料を集め,これらをもとに活気ある授業が展開された。これは暗記学習よりすぐれていたが,作業単元や問題単元の基礎となる知識の系統的学習が不足するという弱点があった。高校の社会科は日本史,世界史,人文地理および時事問題という科目から成っていた。時事問題はときどきの社会問題を題材にしながら日本の政治的・経済的・国際的諸問題を学習させ,またマスコミを批判し自分の見解を確立する能力を育てる科目であり,多様な意欲的実践が試みられたが,56年の入学者から早くも廃止された。このころから社会科に対し,一方では批判精神の育成をおそれる立場から,他方では文部省が子どもの興味を重視すると称して実は歴史的把握の能力の発達を抑えているとみる立場から,批判が加えられるようになった。前者は文部省によるたび重なる学習指導要領の改訂により具体化され,小・中学校の場合は55年,58年の改訂で,地理,歴史の系統だった教育を重視せよという文部省への批判者の要望にこたえる形をとりながら,戦争や平和についての内容を減らし,批判精神の育成を抑える内容へと転換が行われた。高校では,その後63年から〈倫理・社会〉,82年からは〈現代社会〉,中学校では1969年の学習指導要領改訂で〈公民〉がそれぞれ科目として登場した。

 一方,学習指導要領にしたがう社会科を批判する研究・実践は1950年代からさかんとなり,中学生の詩文集《山びこ学校》(1951)も,本来の社会科教育をめざしてつづり方を活用した指導の成果である。このように社会科をめぐる見解は分かれており,それによって実践も多様である。そして教科書検定のきびしさが問題となり,82年に検定(教科書検定制度)が国際的にも批判されたのは,社会科とくに歴史であった。

 さらに中曾根内閣の時代に高校社会科は公民と地理・歴史に解体され,小学校低学年では理科とともに社会科が廃止され,生活科が新設された。これらについては,生徒の社会認識の発達を妨げるおそれがあるとの憂慮がなされている。
歴史教育
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「社会科教育」の意味・わかりやすい解説

社会科教育
しゃかいかきょういく

教科としての社会科を基幹に,社会生活についての正しい理解を深め,民主的な国家,社会の成員として必要な公民的資質の基礎を養うことを目標に展開される教育。第2次世界大戦後,CIEの勧告に基づいて,戦前の修身,国史,地理に代る総合的な教科として教育課程のなかに導入された。特に当初は,民主主義を徹底するための教科として重視された。またその目標を最も効果的に実現する方法として,問題解決学習,単元学習が強調された。しかしサンフランシスコ平和条約前後から起った教育界の復古的傾向のなかで,児童,生徒の学力低下,青少年非行の増加などを契機に系統学習の主張が強まり,1953年以降文部省にも社会科解体の動きが生じた。教育課程のなかに「道徳」が特設され,「学習指導要領」の数次の改訂により,地理的,歴史的,政治・経済的,社会的内容が次第に系列的,並列的に扱われる傾向が強まっている。現行の「学習指導要領」では,たとえば中学校の場合,全体を地理的,歴史的,公民的3分野で構成し,各分野とも内容の系統化,構造化が一層強められている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の社会科教育の言及

【郷土教育】より

…戦時中国民学校第4学年におかれた〈郷土の観察〉はその例である。戦後初期はアメリカの影響による地域社会学校(コミュニティ・スクール)運動や社会科教育などで郷土がとりあげられ,郷土の生活現実を基礎にした地域教育計画づくりや,郷土の生活・自然を教えることが重視された。1960年代の高度経済成長政策の進行から生まれた地域社会における生活・自然の歪みや子どもの荒廃を前にして〈地域に根ざす教育〉が重視され,そのなかでかつての郷土教育の思想や運動を見なおし発展させようとする動きがある。…

【公民教育】より

… 45年8月の敗戦後,戦前日本の絶対主義的性格が反省され,近代的民主主義的市民育成こそが戦後日本社会に欠くことのできない条件とされた。そして同年10月〈公民教育刷新委員会〉が組織され,包括的な公民教育が企図されたが,47年の学制改革にともない公民教育は社会科教育の一環として統合された。社会科において〈公民的分野〉が,それまでの〈政治・経済・社会的分野〉にかわって登場するのは69年からである。…

※「社会科教育」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android