日本歴史地名大系 「鍛冶ヶ谷村」の解説 鍛冶ヶ谷村かじがやむら 神奈川県:横浜市戸塚区鍛冶ヶ谷村[現在地名]戸塚区鍛冶ヶ谷町・元大橋(もとおおはし)一―二丁目東は中野(なかの)村、南は桂(かつら)村、西は小菅谷(こすがや)村、北は上野庭(かみのば)村(現港南区)、久良岐(くらき)郡金井(かない)村(現同区)に接する。北方に東谷(ひがしやと)山がある。猿田(さるた)川が西南方を流れる。鎌倉道が桂・公田(くでん)両村の間から入り、金井村に通じる。道は村内で東に分れ金沢(かねさわ)道となって中野村に通じる。本郷(ほんごう)六村の一つ(風土記稿)。建武二年(一三三五)三月一八日の新阿弥陀堂供僧以下料田坪付注文(県史三)に三位律師実修分田二町のうちに「三段鍛冶谷」とみえ、証菩提(しようぼだい)寺新阿弥陀堂供僧の料田があった。近世は初め幕府直轄領、元禄一〇年(一六九七)旗本牧野・高林領の二給。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報