日本歴史地名大系 「鍛冶屋町二丁目」の解説 鍛冶屋町二丁目かじやまちにちようめ 大阪府:大阪市南区鍛冶屋町二丁目[現在地名]南区島之内(しまのうち)二丁目鍛冶屋町一丁目の南にあり、八百屋町(やおやまち)筋の両側町。北は周防町(すおうまち)筋から南は三津寺(みつてら)筋の半町南まで、間に八幡(はちまん)筋を挟む。町名は明暦元年(一六五五)には南鍛冶屋(みなみかじや)町二丁目といったが、元禄七年(一六九四)鍛冶屋町二丁目となった(南区志)。明暦以前には関(せき)町・鍛冶屋町一丁目とともに鍛冶屋町といった(初発言上候帳面写)。大坂三郷南組に属し、元禄一三年三郷水帳寄帳では屋敷数七三・役数七四役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。年寄は大和屋長兵衛。伏樋一六町組の一町で(→九之助町一丁目)、万治三年(一六六〇)の設置のとき町名は鍛冶屋町とのみあって、一丁目か当町かは不明(安井家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by