日本歴史地名大系 「鎌ヶ谷村」の解説 鎌ヶ谷村かまがやむら 千葉県:鎌ヶ谷市鎌ヶ谷村[現在地名]鎌ヶ谷市鎌ヶ谷一―九丁目・南鎌(みなみかま)ヶ谷(や)一―四丁目・右京塚(うきようづか)・東鎌(ひがしかま)ヶ谷(や)一―三丁目・丸山(まるやま)一―三丁目など現市域の南東部に位置し、北側に中野(なかの)牧、南側には下野(しもの)牧が広がる。西は道野辺(みちのべ)村など、東は印旛(いんば)郡七次(ななつぎ)村(現白井町)・千葉郡八木谷(やぎがや)村(現船橋市)。印旛(いんば)沼に注ぐ二重(ふたえ)川の最上流部にあたり、東部を通称井草(いぐさ)川が南流する。木下(きおろし)道(印西道・行徳道とも)が縦断し、地内に同道の宿(鎌ヶ谷宿)が置かれた。また村の北部で同道と直交する道は西方は小金(こがね)(現松戸市)方面と東方は佐倉方面とを結んでいた。釜谷などとも記した。延文三年(一三五八)五月三日、弘法(ぐぼう)寺(現市川市)日樹が日宗に与えた置文(弘法寺文書)には市河(いちかわ)村・曾谷(そや)(現市川市)などとともに「釜谷」とみえ、毎月一三日・一五日の講会を当地において僧俗が勤めることになっている。応永一七年(一四一〇)の香取造営料足納帳(静嘉堂文庫)に、三谷平七の応永納入分(同一四年二月二七日か)として「蒲萱 田数一丁四反廿歩分銭七百四文内半分三百五十二文納」とあり、同じく三谷又四郎の同一四年二月二七日納入分として「蒲萱 田数四反分銭弐百文 百文納」と記されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by