日本歴史地名大系 「鎌形村」の解説 鎌形村かまがたむら 埼玉県:比企郡嵐山町鎌形村[現在地名]嵐山町鎌形大蔵(おおくら)村の西、都幾(とき)川流域に位置する。村の北辺を都幾川支流の槻(つき)川が流れ、同川を挟んで北は千手堂(せんじゆどう)村。地名は川の釜に由来するとも伝え(埼玉県地名誌)、釜形とも書いた。松山(まつやま)領に属し(風土記稿)、地内には坂上田村麻呂の勧請と伝える鎌形八幡宮(八幡神社)がある。現越生(おごせ)町最勝(さいしよう)寺に所在した至徳三年(一三八六)四月に書写された大般若経奥書(武蔵史料銘記集)に「比企郡釜形郷八幡宮常住、於平沢寺円仙房書」とみえる。田園簿では田高一〇八石余・畑高二四五石余、幕府領。ほかに八幡領高二〇石があった。寛文八年(一六六八)の検地帳によると、反別は田一七町七反余・畑九四町六反余(菅谷村の沿革)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by