日本歴史地名大系 「長五郎屋敷」の解説 長五郎屋敷ちようごろうやしき 東京都:中央区旧日本橋区地区長五郎屋敷[現在地名]中央区日本橋堀留町(にほんぱしほりどめちよう)一丁目岩代(いわしろ)町の東、人形町(にんぎようちよう)通と楽屋(がくや)新道との角地にある。南を堺(さかい)町、北を新乗物(しんのりもの)町に接する片側町。享保年中(一七一六―三六)の下賜地であるが(「寛保沽券図」中央区京橋図書館蔵)、享保年中江戸絵図に町名はみえない。「せきた町」あるいは「さかい丁せきた」とも称し雪駄屋があった(続江戸砂子)。元禄六年(一六九三)の江戸図正方鑑にはのちの長五郎屋敷辺りに「長シヤ」とある。寛保沽券図には長五郎屋敷とみえ、西片町、京間一八間一尺五分、総坪数三六六坪余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報