日本歴史地名大系 「長坂寺村」の解説 長坂寺村ちようはんじむら 兵庫県:明石市長坂寺村[現在地名]明石市魚住町長坂寺(うおずみちようちようはんじ)・魚住町錦(うおずみちようにしき)が丘(おか)一―四丁目瀬戸川と赤根(あかね)川の中流の間に開けた村で、南は中尾(なかお)村。慶長国絵図に村名がみえる。野々上組に所属。正保郷帳によると田高三七一石余・畑高一〇六石余、松山あり。元禄郷帳に「チヨウバンジ」と訓じられ、天保郷帳では高五五〇石余。旧高旧領取調帳によれば柿本(かきのもと)社領三〇石があった。東西四〇間・南北一五〇間、往還道は五町半間、小藪九・池一三・土橋二・石橋二・郷蔵一、長さ五一五間の用水掘割がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報