日本歴史地名大系 「長堀富田屋町」の解説 長堀富田屋町ながほりとんだやちよう 大阪府:大阪市西区長堀富田屋町[現在地名]西区新(しん)町一―二丁目・北堀江(きたほりえ)一―二丁目単に富田屋町ともいう。長堀川の両岸に沿って長堀宇和島(ながほりうわじま)町の西に続く町で、両岸は富田屋橋で結ばれる。もとは新兵衛(しんべえ)町といい(初発言上候帳面写)、明暦―寛文年間(一六五五―七三)の近世大坂地図に「富田ヤ町」とみえる。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では長堀富田屋町として屋敷数三〇・役数三五役で、うち年寄分一役が無役。年寄は屋形屋作右衛門。明暦元年大坂三郷町絵図・近世大坂地図によると、南岸には石見吉永藩・対馬府中藩・大和郡山藩の蔵屋敷があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報