日本歴史地名大系 「長宮村」の解説 長宮村ながみやむら 埼玉県:岩槻市長宮村[現在地名]岩槻市長宮平野(ひらの)村の南東に位置し、集落は古隅田(ふるすみだ)川の自然堤防上に発達している。当地大光(だいこう)寺蔵の文明六年(一四七四)銘の鰐口に「新方庄長宮香取鰐口」「大工渋江住泰次」などの銘がみられ、この時期当地が下河辺(しもこうべ)庄内新方(にいがた)に属していたこと、この鰐口が渋江鋳物師によって作られたものであることが知れる。江戸時代には初期から岩槻藩領で幕末に至る。田園簿によると高は田方一三〇石余・畑方一五五石余。「寛文朱印留」には下総国葛飾郡所属として掲載されている。延宝八年(一六八〇)の岩付領内村名石高家数人数寄帳(吉田家文書)では家数四四(本百姓三七・水呑七)、人数三一〇、岩槻藩の地方支配は新方筋に所属。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報