国指定史跡ガイド 「長屋王邸宅跡」の解説
ながやおうていたくあと【長屋王邸宅跡】
奈良県奈良市二条大路南にある邸宅跡。平城宮の東南角に隣接し、二条大路に面し、南は曲水苑池の庭である平城京の左京三条二坊宮跡庭園と向かいあっている。長屋王は奈良時代初めの皇族(皇親)で、平城京遷都以後、政界の中心だった右大臣藤原不比等(ふひと)が死ぬと、皇親の代表として主導者となり権勢を誇った。しかし不比等の子、藤原4兄弟と対立し、729年(神亀6)、国家を倒そうとしているとの密告があり、藤原宇合(うまかい)らに邸宅を包囲され、自害に追い込まれた(長屋王の変)。1986年(昭和61)からデパート建設予定地で発掘調査が行われ、1988年(昭和63)に地下2mのところで幅約3m、長さ28mの溝が発掘され、その底から4万点に及ぶ木簡が出土した。その中から「長屋親王」の文字が入った木簡が発見され、長屋王の邸宅跡であることが判明した。邸宅は総面積約6万m2、平城宮跡資料館に邸宅の復元模型が展示されており、木簡からは一家の豪奢な生活がうかがえる。現在は、イトーヨーカドー奈良店の下に埋め戻され、記念碑だけが立っている。近畿日本鉄道奈良線新大宮駅から徒歩約15分。