長島庄(読み)ながしまのしよう

日本歴史地名大系 「長島庄」の解説

長島庄
ながしまのしよう

平安時代に蓮華王れんげおう院領として成立した荘園である。現北方町・大町町・山内町、武雄市一帯。

天暦五年(九五一)二月一一日の武雄宮社領の四至実検状(武雄神社文書)に「東限 長嶋大路鎮祭隈」と長島の地名がみえる。「長島庄」としては、現北方町大字芦原の勧喜あしはらのかんげ寺の本尊薬師如来像の背銘に「長嶋庄 医王寺 承安弐年十月」とある。

荘域は広く、武雄市と杵島郡の北部地域が比定される。成立当初から広域であったかは不明であるが正応五年(一二九二)の「惣田数注文」(河上神社文書)によれば「千五百十七丁」で、佐賀県内では神埼庄に次いで二番目の広さである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む