長田シゲ(読み)ナガタ シゲ

20世紀日本人名事典 「長田シゲ」の解説

長田 シゲ
ナガタ シゲ

昭和期の社会福祉事業家



生年
明治33(1900)年7月31日

没年
昭和54(1979)年4月16日

出生地
東京

学歴〔年〕
双葉高等女学院卒

主な受賞名〔年〕
社会福祉功労賞,勲五等宝冠章〔昭和45年〕,全国日本学士会アカデミア賞〔昭和52年〕,大分合同新聞文化賞

経歴
双葉高等女学院を卒業後、聴講生として早稲田大学に学ぶ。22歳の時に洗礼を受けてキリスト教徒(カトリック)となり、東京の老人ホーム恵老院で社会福祉活動に携わる。昭和11年仲間のシスターとはかり、大分県別府市に結核療養所「光の園病院」を設立。一方で愛国女塾を経営した。21年別府に戦災孤児収容を目的とした「光の園・白菊寮」を開き、身寄りのない子供約400人を養育。37年白菊寮改築に際して、寮の事業に共鳴したアメリカ軍将校アーン大尉がマラソンをすることで改築基金を募って話題となり、このことはのちに「ある兵士の賭け」として映画化された。厚生大臣より社会福祉功労賞を受けたほか、45年に勲五等宝冠章、52年に全国学士会アカデミア賞などを受賞。慈愛に満ちた福祉活動に一生を捧げ、生涯独身であった。兄は小説家の長田幹彦

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長田シゲ」の解説

長田シゲ ながた-シゲ

1900-1979 昭和時代の社会事業家。
明治33年7月31日生まれ。長田幹彦の妹。東京の恵老院で社会福祉活動に従事したのち,昭和11年大分県別府市に光の園病院,14年愛国女塾を設立。戦後,養護施設光の園白菊寮を設立し,身寄りのない子どもたちをそだてた。昭和54年4月16日死去。78歳。東京出身。雙葉(ふたば)高女卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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