長田幹彦(読み)ナガタミキヒコ

百科事典マイペディアの解説

長田幹彦【ながたみきひこ】

小説家。東京生れ。早大英文科卒。中学時代から秀雄の影響で《スバル》に詩文を投稿していた。1911年,小説《(みお)》,翌年の《零落》で名をなし,谷崎潤一郎と並ぶ耽美(たんび)派作家とされたが,のち《祇園夜話》などの通俗物を書き流行作家となり,歌謡曲の作詞者としても知られた。全集がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

長田幹彦 ながた-みきひこ

1887-1964 明治-昭和時代の小説家。
明治20年3月1日生まれ。長田秀雄の弟。兄の影響をうけて「スバル」にくわわる。耽美(たんび)的な作品をかき,のち大衆文学へむかう。日本ビクター顧問として「祇園(ぎおん)小唄」「島の娘」など歌謡曲も作詞。昭和39年5月6日死去。77歳。東京出身。早大卒。作品に「澪(みお)」「祇園夜話」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

ながたみきひこ【長田幹彦】

1887‐1964(明治20‐昭和39)
小説家。東京生れ。劇作家の秀雄は実兄。早大英文科在学中の1909年《スバル》同人となったが,一時学業を放棄して北海道各地を放浪し,帰京後その体験に取材した《澪(みお)》(1911)を《スバル》,《零落》(1912)を《中央公論》に発表,評を得た。12年早大を卒業,京阪地方に赴き,祇園に滞留して,その界隈の独特な情緒とそこに生きる舞妓たちの運命を,多くの作に描いた。それらを収めた《祇園》(1913),《鴨川情話》(1915)その他はいわゆる情話文学として世にもてはやされたが,やがて通俗作家へと傾斜していき,文壇から離れた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

長田幹彦
ながたみきひこ

[生]1887.3.1. 東京
[没]1964.5.6. 東京
小説家。長田秀雄の弟。 1912年早稲田大学英文科卒業。北海道を放浪して知った旅役者の生活に取材した『澪 (みお) 』 (1911~12) ,『零落』 (12) で人気作家となった。続く『』 (13) ,『扇昇の話』 (13) ,『自殺者の手記』 (15) で一時は谷崎潤一郎と並び称された。『祇園夜話』 (15) 以後は,いわゆる情話作家として長編 (約 300) ,短編 (約 600) を多作。『祇園小唄』『島の娘』『天竜下れば』など流行歌の作詞もある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

長田幹彦
ながたみきひこ
(1887―1964)

小説家。東京・麹町(こうじまち)生まれ。兄秀雄(ひでお)の影響で新詩社に入るが、脱退して『スバル』に参加して文筆活動を開始。早稲田(わせだ)大学在学中、北海道を放浪、そのときの旅役者生活に取材した『澪(みお)』(1911~12)、『零落(れいらく)』(1912)で一躍新進作家として文壇の花形となった。そのころ1年ほど谷崎潤一郎とともに京阪に滞在、のちに、『祇園(ぎおん)夜話』(1915)など祇園物とよばれる作品群を執筆、潤一郎と並称される耽美(たんび)派の代表的作家となる。しかし赤木桁平(こうへい)の『遊蕩(ゆうとう)文学の撲滅』(1916)論で打撃を受け、情話物の流行にのって読者をひきつけはしたが、作品は通俗化していった。昭和初期からいわゆる歌謡曲の作詞家として『祇園小唄(こうた)』『島の娘』など多数の作品を残し、第二次世界大戦後は『青春時代』(1952)などの回想記や通俗小説を執筆するかたわら心霊学の著作なども残した。

[田沢基久]

『『現代日本文学大系91 現代名作集(1)』(1973・筑摩書房)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

ながた‐みきひこ【長田幹彦】

小説家。東京出身。秀雄の弟。出世作「澪(みお)」で谷崎潤一郎と並ぶ耽美派の代表とまで目されたが、同派の凋落以後、京都の花柳界に取材した文学を専らとし、情話文学の代表的作家と目された。「祇園小唄」「島の娘」なども作詞。明治二〇~昭和三九年(一八八七‐一九六四

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