長砂の石棺(読み)ながさこのせつかん

日本歴史地名大系 「長砂の石棺」の解説

長砂の石棺
ながさこのせつかん

[現在地名]総社市久代 長砂

長砂二号墳ともいう。新本しんぽん川中流域の北岸、標高四〇メートルほどの丘陵端に所在し、一辺約九メートルを測る方墳。墳丘の内には県下でただ一つ横口式石棺を納め、それに短い羨道が取付く構造。南に開く石棺は、播磨竜山石を用いて加工したもので、三面を残してくりぬき、その上を覆う巨大な天井石と、短辺の一方をふさぐ小口石とからなる。厚さは二五センチ、内法長二・〇三メートル、幅〇・八六メートル、深さ〇・五七メートル。「吉備郡史」には上部の石蓋は屋根形を呈し、石棺と接する羨道側石には左右とも漆灰がみられたとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む