長藪城跡(読み)ながやぶじようあと

日本歴史地名大系 「長藪城跡」の解説

長藪城跡
ながやぶじようあと

[現在地名]橋本市細川・慶賀野

細川ほそかわ慶賀野けがのの間にあるしろ山山頂にある。「続風土記」は牲川氏の居城とし、文明年中(一四六九―八七)牲川義春が築城、永禄元年(一五五八)松永久秀に攻められ落城したが、同三年には取返したとする。牲川(贄川)氏は南北朝時代に南朝方に属した多々良三家の一家と伝え(牲川氏系譜)、天正一三年(一五八五)豊臣秀吉の紀州攻めにより滅ぼされたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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