長谷内村(読み)はせうちむら

日本歴史地名大系 「長谷内村」の解説

長谷内村
はせうちむら

[現在地名]勝田町長谷内

大町おおまち村と馬形まがた村の間の谷筋を少し北に行った所に立地。正保郷帳に村名がみえ、田一五八石余・畑六五石余。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では改出高八八石余・開高一八石余、村位は下。美作国郡村高并戸数里程事(武家聞伝記)によると延宝(一六七三―八一)頃と考えられる戸数二一。元禄二年の鉄砲改帳(弓斎叢書)では猟師鉄砲二。同一〇年の村々書上(仁木文書)によると粟井下あわいしも村の内で、家数三三、村の北奥久賀くが村との境に月の輪田という田地荒地があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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