日本歴史地名大系 「長谷寺跡」の解説 長谷寺跡はせでらあと 静岡県:静岡市旧安倍郡地区宮内村長谷寺跡[現在地名]静岡市長谷町城下町方絵図では明屋敷の駿府薬園の西隣に描かれる。この地は城下と村方が錯綜しているが、「駿河志料」は宮内(みやうち)村所属とする。真言宗紀州高野山無量光(むりようこう)院の末寺で、大和初瀬(はせ)観音(現奈良県桜井市の長谷寺)を勧請したとされるため新長谷寺とも称された。永禄年中(一五五八―七〇)兵火により古記を失い開基は不詳(以上、同書)。大永八年(享禄元年、一五二八)九月一五日の今川氏輝判物(長谷寺文書)によれば、千代菊丸に「新長谷寺」が安堵された。天正三年(一五七五)一〇月一三日の武田家朱印状(長谷寺文書)では新長谷寺の観音堂再建にあたり法泉坊に屋敷を還付する旨が示されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報