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長谷川忠兵衛 はせがわ ちゅうべえ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

長谷川忠兵衛 はせがわ-ちゅうべえ

?-1665 江戸時代前期の武士。
徳川家康・秀忠につかえる。長崎で外国船の検使をつとめ,兄の長崎奉行長谷川藤広を補佐する。慶長14年(1609)のポルトガル船爆沈に功をたてたという。のち摂津の代官となり川辺郡(兵庫県)多田銀山を奉行。大坂冬・夏の陣にも従軍した。寛文5年3月27日死去。名は藤継,頓也。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

長谷川忠兵衛

没年:寛文5.3.27(1665.5.12)
生年:生年不詳
近世初頭の徳川家康の側近代官。父は長谷川三郎左衛門藤直。諱を藤継,頓也。長崎代官,堺代官長谷川左兵衛藤広の弟。慶長4(1599)年長兄長谷川波右衛門重吉が佐渡鉱山に派遣されたとき,忠兵衛も同行して仕え,のち一時越後国村上(新潟県村上市)におもむく。次いで同11年兄左兵衛が徳川家康から長崎代官(一般に長崎奉行とのちの職名で呼称している)に任命され,長崎において外交および外国貿易の管理,キリシタンの動静調査などの重職を命ぜられたが,そのとき忠兵衛も兄を補佐した。また商売の代官として,茶屋又四郎(3代四郎次郎)と共に,長崎の役所に派遣された。その際,同14年のポルトガル船マードレ・デ・デウス号爆沈事件に功労を立てたという。大坂の陣(1614~15)前の徳川方の軍需物資の調達などに当たっていたが,さらに多田銀山(兵庫県)を奉行し,大坂の陣には家康の側近に仕えた。姉は家康の側室お夏の方である。その後病気になって退任。京都に住居した。<参考文献>中田易直『近世対外関係史の研究』

(中田易直)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典内の長谷川忠兵衛の言及

【将軍糸】より

…外国商人からエンペラーズ・シルクEmperor’s silkと呼ばれた。徳川家康は初期政権の財政上の補てんのこともあって,外国貿易にはきわめて熱心で,1603年(慶長8)に幕府を開くと,長崎代官に側近の小笠原一庵,ついで長谷川藤広を派遣し,その配下に糸巻物以下売買の代官として弟の長谷川忠兵衛,それに茶屋又四郎(3代目四郎次郎)を長崎に下し,白糸やその他の軍需品の購入に当たらせている。将軍の購入白糸は相当量の数量を年々原価で仕入れ京都などの市場に放出するなど,生糸価格を操作する役割もし,また巨利を占め,外国商人から動きが注目されていた。…

※「長谷川忠兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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