長谷川忠兵衛(読み)はせがわ ちゅうべえ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長谷川忠兵衛」の解説

長谷川忠兵衛 はせがわ-ちゅうべえ

?-1665 江戸時代前期の武士
徳川家康秀忠につかえる。長崎外国船検使をつとめ,兄の長崎奉行長谷川藤広を補佐する。慶長14年(1609)のポルトガル船爆沈に功をたてたという。のち摂津の代官となり川辺郡(兵庫県)多田銀山を奉行。大坂冬・夏の陣にも従軍した。寛文5年3月27日死去。名は藤継,頓也。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の長谷川忠兵衛の言及

【将軍糸】より

…外国商人からエンペラーズ・シルクEmperor’s silkと呼ばれた。徳川家康は初期政権の財政上の補てんのこともあって,外国貿易にはきわめて熱心で,1603年(慶長8)に幕府を開くと,長崎代官に側近の小笠原一庵,ついで長谷川藤広を派遣し,その配下に糸巻物以下売買の代官として弟の長谷川忠兵衛,それに茶屋又四郎(3代目四郎次郎)を長崎に下し,白糸やその他の軍需品の購入に当たらせている。将軍の購入白糸は相当量の数量を年々原価で仕入れ京都などの市場に放出するなど,生糸価格を操作する役割もし,また巨利を占め,外国商人から動きが注目されていた。…

※「長谷川忠兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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