長陣屋跡(読み)ながとろじんやあと

日本歴史地名大系 「長陣屋跡」の解説

陣屋跡
ながとろじんやあと

[現在地名]東根市長瀞

中世以来の長瀞城跡に置かれ、当初は幕府代官陣屋で、寛政一〇年(一七九八)以降は城をもたない一万一千石の大名である米津氏本拠地の長瀞陣屋となる。寛文一一年(一六七一)幕府は延沢銀山のべさわぎんざん陣屋(現尾花沢市)を廃し、長瀞古城跡に移建した。「最上記」に「寛文十一亥年、延沢御屋敷御ママ材木等長瀞ヘ御運ヒ、古城之跡ニ被成御普請御本〆ママ役衆各被成御移」と記される。貞享元年(一六八四)には楯岡たておか陣屋(現村山市)も長瀞へ移された(笠原文書)。享保八年(一七二三)長瀞質地騒動が起こった。幕府の質地流地禁止令が公布されたが、当時漆山うるしやま代官所(現山形市)管轄の長瀞村では、村役人が質取主の損害を懸念して直ちに公表することを控えた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

106万円の壁

会社員に扶養されるパートら短時間労働者は年収106万円以上になると厚生年金保険料などの負担が生じて手取りが減る。将来の年金額は手厚くなるが、働き控えを招く「壁」とされ、企業の人手不足の要因となる。厚...

106万円の壁の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android