日本歴史地名大系 「間之町通」の解説 間之町通あいのまちどおり 京都市:中京区間之町通天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉の都市改造に際して開かれた通りで、現在の中・下京区を南北に貫通し、高倉(たかくら)通の西に位置する。姉小路(あねやこうじ)通と高辻(たかつじ)通間、松原(まつばら)通と万寿寺(まんじゆうじ)通間は中断。「坊目誌」は「始め上長者町まで通ぜしが、宝永五年皇宮地に入るを以て、丸太町まで閉塞す。其間にありし町家を、川東仁王門に移転せしむ。今尚ほ新間之町と云ふ」とある。通り名は「坊目誌」に「詳ならず。北にて新在家、今在家の称ありしが、寛文十三年此名を滅す」とあるが、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」には「此通むかしは町筋なかりしに、後世人家たて並び、東洞院と高倉の間なるゆへ間の町と号す」と記している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by