間口新田(読み)まくちしんでん

日本歴史地名大系 「間口新田」の解説

間口新田
まくちしんでん

[現在地名]邑久町福谷ふくたに

北東および東は虫明むしあげ村、北は福谷村、西は福谷村の枝村知尾ちおに接し、南は瀬戸内海に面する。江戸時代の初め頃は、現間口港から北の山際まで入江が入込んでいた。同港の沖には島が浮ぶ。「備前国老伊木氏諸書類集」(邑久郡史)によると、成立は寛文一〇年(一六七〇)。同史料によれば、「福谷村虫明新田」として伊木長門守の代の承応二年(一六五三)に新田開発の計画がなされたが、公儀の許可が下りずそのままになっていたのを、尻海しりみ村の者が堤を築いて新田を開発したという。当初は尻海新田と唱えていたが、福谷・虫明両村の間の新田ということで、間口新田と改めたと記す。「備陽記」には「新田出来之時、福谷村ト虫明村ト両村ヘ潮指込入口ヲ築切新田ト成ル、故両村ノ論所トナルニヨリ、間口ト名付ル由」と、村名の由来を記述。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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