日本歴史地名大系 「間戸村」の解説 間戸村まどむら 大分県:豊後高田市間戸村[現在地名]豊後高田市真中(まなか) 中村(なかむら)中村の南、桂(かつら)川中流域に位置し、田染(たしぶ)盆地中心部からやや南方の台地上に立地する。田染耶馬の奇岩がそびえ、朝日(あさひ)観音岩屋・穴井戸(あないど)観音岩屋がある。永享三年(一四三一)二月一八日の永政惟永田地去状(永弘文書)に宇佐神領として「田染庄永政名内田地一反十間戸原」とみえ、惟永は神領永政(ながまさ)名内の田地一反等を田染御馬所検校に去渡している。綾部美濃守による真玉和泉守襲撃後の永禄六年(一五六三)三月五日、田染建栄は間戸などについて政所としてはかかわれない事情が多々あるため、大友家社奉行奈多氏に指示を求めている(「田染建栄書状案」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by