田染庄(読み)たしぶのしよう

日本歴史地名大系 「田染庄」の解説

田染庄
たしぶのしよう

かつら川上流域および支流ふき川・小崎おさき川流域の現嶺崎みねざき真中まなか平野ひらの上野うえの相原あいわら池部いけべ・蕗一帯に比定される。田染郷内に成立した宇佐宮領庄園。本家は摂関家。領家は宇佐宮大宮司家。宇佐宮御炊殿(下宮)御供米等を納める御供米・御菜免庄。文治年中(一一八五―九〇)宇佐宮太大工小山田貞遠によって作成利用された宇佐宮仮殿地判指図(宇佐神宮蔵)によると、田染郷は仮殿造営にあたり北大門東よりと東大門より北の中間の甃一八丈八尺内六丈四尺と一ノ御殿内殿西一間半を負担させられている。「宇佐大鏡」では佃一町・用作田四町一段。豊後国弘安田代注進状には田染郷九〇町、宇佐宮領とみえ、本郷・吉丸よしまる名・糸永いとなが名に分けられており、本郷は「大蔵卿法眼有寛跡、小田原又次郎景春法師、法名寂仏、相伝之由申之」とある。吉丸名・糸永名は本郷の周辺部に立地しており、さらに寛元三年(一二四五)時点でも糸永保司の存在が確認されることから(同年七月三日「宇佐公高切符案」永弘文書)、別名であることは間違いない。当庄の名の数は年月日未詳の宇佐宮神領次第案(到津文書)に二三とみえ、編年史料順に初見分を抽出してみると是行これゆき清成きよなり末久すえひさ名・永正ながまさ名・糸永名・恒任つねとう名・大能丸おおよしまる金丸かなまる名・重安しげやす名・末次すえつぎ名・行成ゆきなり名・唐木田からきだ須加牟田すがむた石丸いしまる・吉丸名・近弘ちかひろ名・篠原しのはら名・重房しげふさ名・弁分べんぶ石王丸いしおうまる名・草葉くさば名・光並みつなみ名・小手則こてのり名の順となる。戦国期になると二次的な名が多くみえるようになるが、これらの名が神領次第案の二三名とどう関係するのかは不詳。

御供米・御菜免との関係をみると、永仁七年(一二九九)二月二〇日沙弥行信が御供米代田地として寄進した重安名内原羽弘田一段二〇代(「沙弥行信寄進状」永弘文書)、正和二年(一三一三)正月二〇日の鎮西下知状案(同文書)にみえる永正名内御供田一段二〇代、暦応二年(一三三九)三月一〇日の下宮社司職等および御供米・御菜米の宇佐宮番長への安堵(「左衛門尉高直奉書案」同文書)、康永三年(一三四四)二月二八日の田染庄糸永名惣帳案(同文書)にみえる宇佐宮御供米三石五斗のうち五斗重安がある。さらに貞和四年(一三四八)一二月二九日の宇佐保範得分物注進状(到津文書)には御菜米毎年三八石のうち糸永・重安六石と末久二石がみえる。御供米料所は田染庄糸永名のほか田原たわら別符(現大田村)まがり別符(現大分市)があり(正平一三年五月二一日「宇佐公居挙状案」永弘文書)、正長元年(一四二八)八月一一日の永弘光世番長職等譲状(同文書)には田染庄所々御供米、永享五年(一四三三)一一月一三日の某安堵状案(同文書)には重安・末次両名は御菜免、吉内(吉丸か)森下五段は御供田とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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