関俣村(読み)せきまたむら

日本歴史地名大系 「関俣村」の解説

関俣村
せきまたむら

[現在地名]高根沢町花岡はなおか

大谷おおや村の南、五行ごぎよう川流域に位置し、関街道が抜ける。今宮祭祀録(西導寺蔵)に関俣郷・関俣村とあり、今宮いまみや神社(現氏家町)の社家役として回楼西の分三間を勤仕、また祭礼頭役を正安二年(一三〇〇)に関俣郷の橘次左衛門尉が勤めている。しかし天文一五年(一五四六)まで同郷は頭役を懈怠し、宇都宮俊綱の代に古法のごとく仰せられたとあり、同年より天正一八年(一五九〇)にかけて同地の塙氏・若色氏が頭役を勤めている。近世は初め宇都宮藩領、寛延二年(一七四九)下総佐倉藩領、安永三年(一七七四)宇都宮藩領、嘉永四年(一八五一)幕府領となる。慶安郷帳では高四四七石余、田方三五七石余・畑方八九石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む