関実忠館跡(読み)せきさねただやかたあと

日本歴史地名大系 「関実忠館跡」の解説

関実忠館跡
せきさねただやかたあと

[現在地名]亀山市山下町 大垣内

山下やましたの集落を北に見る高台の一角にあり、関殿屋敷せきどのやしきの地名が残っている。関実忠が久我くがの館(現鈴鹿郡関町)から若山わかやま居城を築いて移り住むまでの間、住んでいた館である(五鈴遺響)。これは単なる居館であっただけでなく、文永元年(一二六四)関氏の主城が亀山に移ってからも小城郭として残ったようである。「満済准后日記」正長二年(一四二九)三月六日条によれば、伊勢国司北畠満雅に連なる関氏討伐が進むなかで「自伊勢守護方注進到来、関入道(盛雅)(中略)悉焼払了、於関入道者今月一日山下ヲ没落之後、行方不知罷成云々」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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