日本歴史地名大系 「関尻村」の解説 関尻村せきじりむら 千葉県:富津市関尻村[現在地名]富津市関尻大森(おおもり)村の東方、湊(みなと)川中流左岸にある。苗代台(なわしろだい)および周辺の城(じよう)ノ台(だい)・常代(とこしろ)・矢倉前(やくらまえ)・要害(ようがい)・馬場崎(ばばさき)・古屋敷(ふるやしき)など上後(うえご)地区を含めて中世の城館跡として常代城とよんでいる。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高一八一石。正保国絵図では高二七〇石。寛文四年(一六六四)の松平忠勝領知目録(寛文朱印留)に記され、佐貫藩領。支配領主の変遷は田原(たばら)村と同様。元禄郷帳では高三〇〇石余で、幕末も同様。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では家数六〇。天保一三年(一八四二)には小商人として菓子商二軒、酢醤油商・質屋炭商・質屋各一軒があった(関家文書)。この頃湊村を寄場とする改革組合村四三ヵ村の一つで、嘉永五年(一八五二)当時は峰上三組合(助郷組合)のうち当村名主金右衛門らを惣代とする関尻組合(一〇ヵ村)を構成していた(三浦家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by