20世紀日本人名事典 「関忠孝」の解説 関 忠孝セキ タダタカ 昭和期の医学放射線技術者 生年明治37(1904)年8月11日 没年昭和49(1974)年7月19日 出生地東京市本郷湯島 学歴〔年〕上智大学哲学科卒 経歴在学中からドイツ文学を翻訳。大正15年外国商社に勤務、バッハ太陽灯の創始者バッハと文通、ドイツのアルベルス・シェーンベルク著「レントゲン手技」に感動、昭和5年東京市立大塚病院レントゲン科に技術者として勤務。日本レントゲン協会機関誌「蛍光」を編集。34年都立豊島病院検査科長で退職。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「関忠孝」の解説 関忠孝 せき-ただたか 1902-1974 昭和時代の診療放射線技術者。明治35年8月11日生まれ。関鑑子(あきこ)の弟。昭和5年より東京市立大塚病院レントゲン科につとめる。日本レントゲン協会会長となり,機関誌「蛍光」を編集,放射線技師の身分法制定につとめた。日本放射線技術学会の設立にかかわり30年会長。昭和49年7月19日死去。71歳。東京出身。上智大哲学科中退。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by