関方村(読み)せきがたむら

日本歴史地名大系 「関方村」の解説

関方村
せきがたむら

[現在地名]焼津市関方

方野上かたのかみ村の西から北にかけて位置し、高草たかくさ山の南麓、朝比奈あさひな川の左岸に立地する。益津ましづ郡に属する。南は同川を挟んで越後島えちごしま村、西は策牛むちうし村と志太しだ三輪みわ(現岡部町)。天正一二年(一五八四)八月二六日の坂本貞次・駒井勝盛連署状(原川文書)に「せき方らち」とあり、徳川氏は当地以下の年寄衆に対し軍備を整えさせ参陣するよう命じている。慶長九年(一六〇四)八月に検地が行われた(志太郡誌)。寛永一〇年(一六三三)旗本長崎領となり幕末に至る(「寛政重修諸家譜」、国立史料館本元禄郷帳、旧高旧領取調帳など)。元禄郷帳では高二五五石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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