デジタル大辞泉 「関根潤三」の意味・読み・例文・類語 せきね‐じゅんぞう〔‐ジュンザウ〕【関根潤三】 [1927~2020]プロ野球選手・監督。東京の生まれ。昭和25年(1950)近鉄バファローズに入団。投手から打者に転向し、両ポジションでオールスターに出場。引退後は大洋(横浜DeNAの前身)・ヤクルトの監督を歴任。解説者としても活躍。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
知恵蔵mini 「関根潤三」の解説 関根潤三 元プロ野球選手(投手、外野手)、監督、野球解説者。1927年3月15日、東京都生まれ。法政大学の1年次からエースとして79試合で登板し、東京六大学リーグ歴代5位の通算41勝をあげた。50年にプロ野球の近鉄パールス(後の近鉄バファローズ)に入団。53年からは3年連続で2桁勝利をおさめ、通算で65勝、防御率は3.42を記録した。57年に外野手に転向し、打者での現役通算成績は打率2割7分9厘、59本塁打、424打点。オールスター戦には5回出場したが、うち53年には投手として、63年には外野手としてファン投票で選出された。投手と野手の両方で出場したのは史上初めてとなる。65年に読売ジャイアンツに移籍、同年に現役を引退した。82年〜84年には大洋ホエールズ(現、横浜DeNAベイスターズ)で、87年〜89年にはヤクルトスワローズで監督を務めた。その後は野球解説者としてテレビやラジオに多数出演し、穏やかな語り口で親しまれた。2003年に野球殿堂入りを果たす。20年4月9日、93歳で死去した。 (2020-4-16) 出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「関根潤三」の解説 関根潤三 せきね-じゅんぞう 1927- 昭和後期-平成時代のプロ野球選手,監督。昭和2年3月15日生まれ。法大では左腕エースとして41勝。昭和25年近鉄に入団し,8年間で65勝94敗。32年外野手に転向し,好打者として活躍。40年に巨人にうつる。実働16年,通算1137安打,2割7分9厘,59本塁打。57-59年大洋,62-平成元年ヤクルトの監督をつとめた。平成15年野球殿堂入り。東京出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例