関郷
せきごう
関氏の居住開発によってよばれるようになった中世の郷。伊勢国の関氏の族といわれる関盛春が伊那郡新野に来住し、土地の住民に推されて領主となり、栩窪の地に居館を設けたといわれるが、他に説もあり、確証はない。坂部(現天龍村)の諏訪社所蔵の鰐口銘に「信州関郷左閑部若宮八王子鰐口、永享十一年十月廿五日」とあり、永享一一年(一四三九)に関郷の名がある。応永七年(一四〇〇)八月、信濃国守護小笠原氏の信濃入部によって起こった大塔合戦に「関豊後守」が参戦(信州大塔軍記)、永享一二年の結城合戦の結城陣番帳(笠系大成附録)にも「関殿・同名又六郎殿」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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